「木洩れ日の森から」と題したHPを立ち上げたのが今から6年前
そして分館としてこのブログをはじめてから3年が経ちました
先日、HPから「
森との出会いの経緯」の部分をこのブログに転記してみました
そんなことはじめましたのは、今読んでいる白洲正子さんの著書「日月抄」に「木洩れ日」の文字を発見したからなのです
読者には意味不明のことでしょうけれど
6年前、HPを立ち上げるにあたり「こもれびのもりから」のタイトルを考えたのですが
さて、「木漏れ日」か「木洩れ日」か、はたまた「木漏れ陽」か、悩んでしまいます
事典では、「木漏れ日」(こもれび)は、森林などの木立ちから太陽の日差しが漏れる光景のこと。
「木洩れ日」とも書く。
が、一般的のようです
どちらでもいい・・・・
どちらでもいいならなぜ二つの字があるのでしょう???
「漏洩」、 漏れること。 「漏えい」と表記されることも多い。
どうも「洩」の字は当用漢字にないらしい
へそ曲りな私のこと
当然「洩」の字を採用です
見た目にも「木洩れ日」のほうが、さらりと清清しそうな感じがします
そんなことで「木洩れ日の森から」となった訳なのですが
それでもずっと、自信がありませんでした
そして先日、白洲正子さんの著書「日月抄」のなかの「日本のたくみ」で
樹齢二、三百年の黄楊(つげ)の木が、白い肌をさらして繁っている。私はなめらかな幹に手をふれて、この木を発見した工人の喜びを想った。以来、「つげの小櫛」は一つの熟語と化して詩歌に謳われたが、細やかな葉を通して、静かにゆらめく木洩れ日には、己が心を櫛に託して告げた人々の、ひそやかな想いが息づいているようであった。
こんなくだりを見つけ、長年の胸のつかえがとれた想いです
白洲正子さんも、「木洩れ日」を使われていたのですね
そんな些細な事なんですが
雨上がりのような
ちょっと晴れ晴れとした気持ちです
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