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木洩れ日の森から

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2013年 12月 02日

ウオトカの記憶


先日、いやもう少し前になりますか、たまたまTV番組を見ておりましたら
何処か見覚えのあるお顔に遭遇
番組はたしか、「こんなところに日本人?」だったと思う
世界の秘境に暮らす日本人を訪ねるという趣向の番組です
目的あって観ていたのではないので、場所は定かではないのですが
中央アジアの砂漠
そんなところに日本人が住んでいるという
番組が進行して砂漠の真中に住んでいるという日本人が映し出された
えっ、そのお顔に、確かに覚えがある
しかし、私が記憶しているその方は、ついこの間まで(考えて見ますと10数年前・・・)TVの放送大学でお元気なお姿を拝見しておりました
そんな方がそんなところに住んでいる訳がない、とは思いましたが
あまりによく似ておいででしたので、食い入るように見入っておりますと
その方の名前は、加藤さん、えっ!!、まさか!!
なんと「加藤九祚(かとう きゅうぞう)」その人ではありませんか
間違いありません、かなりお年は召されましたが

私の大尊敬の加藤九祚先生に間違いありません

何でまた!?

いや、ありえます、あの先生ならば・・・

しかし、私がお会いした時からすでに30年ばかり経過しています

相当なお年のはず・・・

にわかには信じられません

番組によりますと
現在砂漠で遺跡の発掘作業をされていると
あのやさしそうなお顔を拝見しておりますと
昔の記憶が蘇ってまいります

私が加藤九祚」先生とお会いしましたのはまだ先生が大坂の「国立民族学博物館」の教授をされておいでの頃でした
ある展示企画のお仕事で面倒を見ていただきました
私が打ち合わせに訪問しますと、先生は長ーい廊下の向こうから北アジアの民族衣装に身を包み
おおまたで歩み寄り、いきなり抱擁してくださるのです
最初は驚きましたが、次第に先生の飾らぬ自然体そのままのお人柄に、ただただ魅了されていきました
そして、打ち合わせが長引くと、机の下で私の足をそっと蹴ります
そしてニヤリと笑ってウインクします
もういい加減にして、呑みに行こうとの合図です
国立民族学博物館は千里中央の大坂万博記念公園の中にあり、ある意味
「陸の孤島」、バスの時間に遅れると大変な事になる
早々に打合せを切り上げてバスに乗り、駅前の立ち呑み屋
先生が手を上げると、即座に一升瓶が目の前にドンと置かれます
先生は、にやりと笑って、これ「ウオトカ」と一言、ウオッカとは発音しないらしい
ボトルキープしてある本場ロシアの「ウオトカ」
先生は満州で終戦を迎え、ベリアに抑留されておられました、その時に必死に覚えた
あまりにも流暢な本場訛りのロシア語のために、スパイと疑われその後もしばらく抑留生活をされておられたそうです
馴れない「ウオトカ」に足を取られる私を背負って、ホテルまで届けてくださいました事を
今でも恥じ入りながら記憶しております
ウオトカの記憶_d0082305_13435677.jpg

そんな先生からあるときお呼びがかかりました
お話を伺いますと
これから国連の関係でシルクロード探検の旅に出る
一緒に来ないか、とのお誘い
私にお役に立てることがあるのでしょうか
とお伺いいたしますと、写真の現像をやって欲しいと
その頃はまだフイルムの頃、せっかく写した写真がまともに映っているかどうかが帰って現像してみなければ分からないのが
一番の問題だ、幸い現像キットなるものが発売されたのでそれをやって欲しいと
どうやら、専門知識の無い私を何とかこの「シルクロード探検」に参加させるために考え出された策らしい
凄い、行きたい!!!
しかしながら期間をお伺いいたしますと、1,2年くらいかな、と・・・エッ

さまよえる湖 ロプノール、幻の都 楼蘭

ウオトカの酔いと、魅惑のシルクロード探検のお話に、またまた酔いつぶれる私でした



その頃、結婚したてでした私

会社を辞める決心つかず

大後悔の人生を送る事となりました

今もって残念


しかし先生、国立民族学博物館で定年を迎えられたはず・・・
調べてみますと
驚く無かれ1922年のお生まれ
91歳・・・
お元気なお姿を拝見できまして
大変嬉しいです

2002の春、先生のお誕生日にウズベキスタン共和国のカリモフ大統領から「友好勲章」を授与され
また、同国教育省発行の小学六年社会科の教科書に紹介される事になったそうです

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『君ははるばる日本からやってきて、スルハン・ダリヤ地方の古いダルヴェルジン・テパやカラ・テパで考古学的発展に従事している加藤九祚氏について聞いたことがあるかもしれない。彼の犠牲的精神に富む、広範な知識は、われわれの歴史全体や古代の遺跡を含むのみならず、文化的・精神的遺産に関しても深い理解を示している。加えて、これらの事物を外国の人びとに伝えることにおいても実り多い成果を上げられたことにより、ウズベキスタン共和国の大統領令に基づいて≪友好≫勲章を授けられた。

  そもそも、80歳を超えるこの人物に故郷を捨てさせ、冬の風雪、夏の炎暑、春秋の降雨や悪天候にさらされつつ、荒野に住まわせ、その手にクワをもたせて、古代の遺跡を少しずつ掘り進めさせている力はいったい何なのだろう?それは、われわれの偉大な遺産に対する興味、そしてウズベクと日本両国民の歴史と生活における普遍的な観念を学ぼうとする熱意ではないのだろうか?

  加藤九祚氏のように遠いふるさとからやってきて、ウズベクの田舎で学問的探求に携わっている学者は稀ではないだろうか?この人物は、われわれの国や人びとを心から愛しており、われわれの母国語を自由に話すことができ、われわれの歴史についてどんな人とも議論を戦わせるだけの知識があり、そしてわれわれの国を高く評価し、尊重している。ウズベクの人びともまた、彼を敬愛するがゆえに≪ドムラ(先生)≫と呼んでいるのだ。』

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どうか、これからもお元気でご研究の日々をお送りください

日本より


お祈りしております






もう一度見たいと思い
動画を検索いたしましたが
見つかりませんでした



















加藤九祚さん 新著にシルクロード調査の半世紀

卒寿を超え、今も発掘調査現場に立つ北・中央アジア文化史家の加藤九祚きゅうぞう・国立民族学博物館名誉教授(91)が、新著『シルクロードの古代都市』(岩波新書)を刊行した。

 大河・アムダリヤ沿いで、各国の考古学者たちが行った半世紀の調査成果を概観する内容だ。

 記述で力を入れたのは、中央アジアへのヘレニズム文化の影響だ。アフガニスタン北部のアイハヌム遺跡(紀元前300~前145年頃)では、フランス隊の発掘調査で、噴水や劇場など、古代ギリシャ都市に特徴的な施設を備えた都市の跡が発見された。タジキスタン南部のタフティ・サンギン遺跡(前400~後300年頃)では、旧ソ連などの調査団によって、神殿遺跡が発掘され、地元旧来の信仰とギリシャの神々への信仰が平和的に共存していたことが明らかになった。

 アレクサンダー大王(紀元前356~前323年)の東方遠征後、ヘレニズム文化が中央アジアの奥地にまで入りこみ、土地の文化に大きな影響を与えていた様相が浮かぶ。「ギリシャ・ヘレニズムは、世界史上でもまれな先進文明を引っさげての大征服を行った」と、力を込める。

 自身も1998年から、ウズベキスタンのアムダリヤ沿いにあるカラテパ仏教遺跡(4世紀頃)で発掘調査を進めており、これまでに大型ストゥーパを発見するなど、当時の信仰実態や仏教の伝播でんぱルートを解明する上で大きな成果を上げている。アイハヌムやタフティ・サンギンに続く時代の遺跡だ。

 これらの遺跡で育まれた文化は「シルクロードを通じて最終的には、奈良・正倉院など、日本にも及んでいった」と語り、その重要性をもっと日本人に知ってもらうことが執筆の意図だという。「特にいい論文を書いてきたわけではない。ただ、優れた研究の成果を咀嚼そしゃくして一般に伝えるのが仕事だと思ってきた」

 戦時中は関東軍の工兵だった。「気づけば昔から、“橋渡し”を続けているわけです」。続編としてカラテパ遺跡の成果を平易にまとめるのが、次の目標だ。(文化部 清岡央)

ウオトカの記憶_d0082305_07283314.jpg
「カラテパ発掘は生涯の仕事と思っている」と語る加藤名誉教授



by takibiyarou | 2013-12-02 06:39 | 雑観・雑考


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