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木洩れ日の森から

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2007年 04月 23日

縄 文 の ふ る さ と

ノエルの森のある八ヶ岳西南麓、富士見高原の少し下の方標高800から1000m位の所にはたくさんの遺跡があります
井戸尻・曽利・藤内・九兵衛尾根・居平・唐渡宮・向原など、名だたる遺跡が集中し、「井戸尻遺跡群」と呼ばれています
現在確認されているだけで228遺跡、そのうち191ケ所が縄文時代の遺跡です
このため八ケ岳西南麓が「縄文のふるさと」呼ばれるのです
その中でも縄文中期の遺跡数は164ケ所、遺跡総数の70%以上を占め爆発的な増加を示しています
またこの頃になると標高1100mから、高いところで1200m位までその営みを広げます
しかし中期末になるとめっきりその数を減らし後期から晩期に入ると僅かに数箇所となり、八ヶ岳西南麓から営みの痕跡がプツンと消えてしまうのです
縄文中期の約1,000年、八ヶ岳西南麓のここ富士見高原に山麓の縄文文化とも言える素晴らしい文化が花開いたのです
私の年代では縄文時代は、狩猟や採集などを中心とした社会であったとする学説が主流でしたが、最近では縄文農耕説が主流となっています
八ケ岳山麓から出土する考古遺物(石鍬・除草用小型鍬などの石器)を見てもあきらかに農耕に使われたと考えられます
縄 文 の ふ る さ と_d0082305_6461794.jpg

                                             水煙渦巻文深鉢
                                             曽利遺跡出土
                                             井戸尻考古館蔵

しかしこの頃の稲作は水田によるものではなく畑作による稲作と考えられるようです、その後水田による稲作が中心になって来ると標高の高いこの地域では稲作が難しく人々の営みが消えてしまったのではないでしょうか

またこの地域(諏訪湖から富士見町と須玉町にかけて)は「石棒信仰」とも関係の深いといわれる「富士眉月弧(ふじびげつこ)文化圏」の左眉の中心地でもあるようです

そして井戸尻・曽利・藤内遺跡などから出土された縄文土器の素晴らしさには目を奪われます

その神秘的な文様に包まれた土器から

人々の自然や神々との精神生活の一遍を垣間見

そして当時の生活を窺い知る事ができるかもしれません

縄 文 の ふ る さ と_d0082305_1673869.jpg

                                     縄文人と縄文犬  
                                     国立科学博物館公式フィギュア

by takibiyarou | 2007-04-23 06:46 | 八ヶ岳


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