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木洩れ日の森から

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2007年 12月 17日

モ ノ ト ー ン な 記 憶

ネットで資料検索していると、突然過去の記憶と遭遇することがあります
今回もそうでした、「蜂の巣」の文字が私の過去の記憶を呼び起こし

そして、ある方のブログの記事にたどり着きます

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当時の金沢はクリスマスごろには必ずといって雪が降り、根雪になった。銀世界だ。
長靴を持ってなかったので、リーガルのプレーントウで滑りながらバスにも乗らず早起きして片町の仕事場へ向かった。
自動車はスノータイヤを履き、道路の中心からは融雪水が出ていた。
名古屋出身の先輩と雪の香林坊裏にあったジャズバー『蜂の巣』で、強くも無いのに、オールドを入れ、給料が出ると、
借りを返しに行く2万円ぐらいか?当時の給料額面で43000円だから、2万円は結構なもんだ。
ママはクールな女で客に媚びず、「いらっしゃい!」しか言わなかった。
こっちから「水割り」とか、「ジントニック」とか「つまみはレーズンバター」とか注文しないと、いっさい何も出てこない。
変わってるジャズバーだった。当時フランス映画をよく見ていたので、僕の中では彼女の冷たさが『ジャンヌ・モロー』に置き換わっていた。

10年金沢にいたあと、東京本社に転勤になり、実家のある現在の埼玉へ戻ったあと、
何年ぶりかで香林坊へ立ち寄ったがすでに開発の為跡形も無くなっていた。
ママはどうしてるんだろう!雪の降る大晦日を『蜂の巣』で過ごしたこともある金沢独身の巣だった。
音楽は、時代を甦らせる力を持っている・・・と感じつつ知らぬ間に寝ていた。

今朝も暑そうだと

     無断の引用お詫びいたします
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雪、兼六園、煉瓦校舎、安物のウイスキー、黒く使い込まれたカウンター、ブランデーグラス

黒ずくめのママ・・・

記憶がどんどんと連なり、懐かしい青春の記憶が重なり合います

すべては、モノトーンの記憶

雪のせいでしょうか、それとも・・・

そう、北陸の街金沢、そこに「蜂の巣」は有りました
香林坊の近く中央公園に面した細い路、カウンターだけの、5、6人で一杯の小さなジャズの流れるスタンド・バーです
専攻は違うのですがその頃よくつるんでいた友人に紹介されたお店です
先輩のボトルが入っていて、飲んでも良いとの許可を貰っているとのことでした
カウンターの隅で、一番安い「ホワイト」をストレートで舐めるようにチビチビと
後は先輩のボトルを少しづつ頂くのです
黒ずくめのママが少し斜めにカウンターにもたれて、いつものブランデーを呑んでいます
ちょっとニヒルに笑いながら
「その席はねー、五木さんが良く座っていた席よ」
「五木さんて?」
「五木寛之、知らないの?」
「エッあの五木さん」

そうなんです、この「蜂の巣」五木寛之さんの良く通われたお店なんだそうです
「五木寛之」さんが金沢に居られたのは昭和40年頃から45年位のようですので
私とは丁度入れ違いくらいのようです

「さらばモスクワ愚連隊」 「蒼ざめた馬を見よ」 「ソフィアの秋」「青年は荒野をめざす」の頃でしょうか

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「私が市内の契茶店によく立ち寄るようになったのは、その頃からだった。
最初は(郭公)、それからスタンド・バーで昼間だけ喫茶になる(蜂の巣)、やがて新しく出来た(ローレンス)
などが私の行きつけの店だった。喫茶店といえば、ひとつ思い出がある。あれはたしか(金劇)
の地下の喫茶店だったはずだ。その店にくる客で、ツケにして帰る客が結構いるのである。
……「小立野の五木やけどね」と、私は席を立ちながら言った。」……

……「小立野のどのへん?」と、彼女は私にきいた。
「五丁目。東山荘というアパートや」私も金沢弁ふうに真似て答えた。
…「刑務所のすぐ裏やね。東山荘、イツキさん、と。あ、わかった。五の木と書くんやろ」
「そう」「はい、承知しました」彼女は本をバサッと閉じてうなずいた。
……私が背中がこそばゆい感じでその店を出るとき、背後で女の子がバーテンダーに告げる声がきこえた。
「刑務所裏の五木さんやて」・・・

五木寛之さんの文章から
・・・・・・・・・・・

その頃 五木寛之さんは「小立野の刑務所のすぐ裏の東山荘というアパート」にお住まいだったようです
この刑務所、後に、私が通う煉瓦作りの古びた校舎がこの跡地に移転し、私もすぐ近くで過ごした思い出の地でもあるのです

そんなお店で、一体なにを話し、何を思っていたのでしょう
そのあたりの記憶は定かではありません

そんなある日
まだ宵の口のはずなのに黒ずくめのママさんが

「今日はもう終わり、鍵しめちゃってよ」
「もう終わり・・・」
「いいのよ、ちょっと話があるの」

話とは、
「小立野に新しいお店出したいんだけど、やってくんない」
「エッ、・・・でも・・・」
何度かママの胃の具合が悪くなった時、代わりにカウンターに入っていたので
思いついたようです
「先生には私が話しとくから」
実はこのお店は私の通う学校の先生方の溜まり場でもあったのです
その後
教授から呼び出しがかかり
「ママから聞いたよ、あそこなら良いからやってあげたら、私も行くよ」

そんな訳で
この「蜂の巣小立野店」を手伝うことになったのです
学校公認のバーテンダーです
そんなお店も、私たちの卒業とともに姿を消したようです
それから何年後でしたでしょうか

香林坊の再開発で「蜂の巣」もなくなったと、風の噂で聞きました

もう10年くらいも前でしょうか、お仕事で金沢に行く機会があり
少し歩いてみました、懐かしい香林坊、「蜂の巣」の在ったあたり
今の「大和百貨店」の裏口の辺りでしょうか・・・

やはり昔通ったジャズバーを訪ねてみます、このお店も立ち退き移転でずいぶんと変っていました
そしてマスターとの思い出話の中で、あの黒ずくめのママが亡くなった事を知りました

あの理知的で、物静かで

ちょっとニヒルな、あの素敵だったママが

「壮絶な胃癌との戦いだった」

マスターも声を詰まらせます

モ ノ ト ー ン な 記 憶_d0082305_4353590.jpg

                                   赤煉瓦の旧校舎



久しぶりにブランデーでも頂きますか

「なに思い出してんのよ」

あの黒ずくめのママの声が

聞こえてきそうです



今頃は

北陸のあの街も、雪でしょうか









by takibiyarou | 2007-12-17 04:39 | 雑観・雑考


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