まだまだ春爛漫とはいきませんが、ノエルの森にも心地よい春の光が差し込む季節となりました
こんな季節は、少しくらい寒くてもデッキでお茶でも飲みたいですね
こんな春の木洩れ日のデッキにいると、ついつい眠ってしまいそうです
この安堵感はいったいどこから来るのでしょうか
ウッドデッキ、それは森の暮らしの定番です、ログハウスとの組み合わせでおなじみですね
なのでどうしても洋風のイメージがありますが実は日本古来からの建築様式の中にも同じ発想が見て取れます
京都の清水の舞台などはまさしくウッドデッキです
それに、日本家屋独特の「濡れ縁」もウッドデッキの原型と考えてもいいのでしょう
この「濡れ縁」は住宅の外部に設けられた雨ざらしの縁側のことですが、建物の内と外を明確に区別するのではなく
「外なるものと内なるもの」この二つの空間を曖昧に繋ぎ一体となす、そんな日本人特有の自然に対するスタンスの表れなのでしょう
近しい人たちは玄関からではなく、この濡れ縁から声をかけ、濡れ縁に腰をかけて茶呑み話に花を咲かせます
そんな濡れ縁のやさしさ、親しみがウッドデッキにもあるのでしょう確かに窓から見る森と、デッキで感じる森とはまるで別のものに感じます
森からの恩恵に甘んじるだけに留まらず、搾取により暮らしを維持してきた私たちにとって、自然は手放しで私たちを受け止めてくれるでしょうか
文明と言うさまざまな不純物の染み込んだ私を、森が素直に受け入れてはくれ無いかもしれない、そんな想いは常にあります
そんな後ろめたさのせいでしょうか、森の中の切り株に座っているときよりも、森のウッドデッキに座っているときのほうがゆったりとした安心感があるのも事実です
後ろに「内」という逃げ場を用意することによって、やっと森と会話が出来るのでしょうか
そう考えると少し寂しくなりますが、所詮にわかの「森人」、さまざまな森の住人たちとはあまりにも年季が違いすぎます
07 ある夏の日の午後、森のデッキにて
完全に文明を遠ざけることの出来ないいじょう
私にとって「濡れ縁」としてのウッドデッキは森と繋がるための大事な接点なのでしょう
春の木洩れ日のデッキに身をおくと
今まで聞こえてこなかった
森のささやきが聞こえてきます
小鳥のさえずり
枝を擂り合わす木々のつぶやき
そして森を抜ける春の風のささやきが