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カテゴリ:物語
  • く わ ば ら く わ ば ら
    [ 2008-09-22 06:58 ]
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2008年 09月 22日
く わ ば ら く わ ば ら
地 震 雷 な ん と や ら
親爺の権威喪失は言われて久しいですが
近頃、地震と雷がかなり多いような気がします
先日もお山でゴロゴロと鳴っておりました、山でこれに会うとかなり怖いですね
この雷、日本全国ほぼ同じ条件で、と思っておりましたが
昔、北陸で学生をやっていた時です
ころは冬、外は雪です
吹雪の様相、と、いきなりビカビカ、ドドドンー
雷です
一緒にいた友人に、「雪が降りながら雷だよ!不思議だねー」
と、同意を求めると
友人はいぶかしげに私を見て
「雷は昔から冬と決まっているやないか」と
雪雷(ゆきがみなり)と言うらしい
これには正直驚きました
私の生まれた地方では、雷がなると梅雨が明けます、夏の到来
どうもこの常識は全国的ではないようです、日本海側では雷は冬の風物詩

雷が鳴れば、蚊帳に逃げ込んだり、慌てておへそを隠したり
はたまた「くわばらくわばら」とお題目をとなえたり

この「桑原桑原」と菅原道真のお話は有名ですが、他にも説があるようです



まずは菅原道真のお話から

「東風吹かば にほひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」

宇多天皇に重用された菅原道真は、後に天皇が上皇となったころから勢力を伸してきた藤原時平に
宰府へ左遷されるのです
道真は太宰府で軟禁状態のまま失意の日々を送り、この世を去ります
やがて、都では異変が相次ぎます
藤原時平や道真の左遷に力した人々の死去、そして延長8年内裏に落雷、雷に打たれ死者が出ます
このことにおびえた醍醐天皇はショックで病に倒れ、3ヶ月後この世を去ってしまいます
道真は雷神となり祟ったのです
しかし、道真の所領であった「桑原」には決して雷は落ちなかったそうです

そして諸説

昔昔、雷神が足を踏み外し、農家の井戸の中に落ちたとき
農民がフタをして閉じ込めたら
雷神が、「俺は桑の木が嫌いだから、桑原と唱えたら二度とお前の所には落ちないだから出してくれー」
と頼んだそうな
それから雷鳴がとどろくと桑原と唱えるようになった、とさ

もう一つ
三田市欣勝寺

昔、あわてものの雷の子が、欣勝寺の古井戸に落ちてしまった
どうしても外へ出られないので、「助けてくれ一!」と大声で叫んだ
和尚さんは、井戸にふたをしてこらしめた。
雷の子は、「助けておくれ。桑原へは二度と雷を落とさない。」と言ったので、和尚さんは助けてやった
雷の子は帰って親に、一部始終を話した。雷の親は、和尚さんにたいへん感謝し
雷たちを集めて、「これから欣勝寺や桑原には絶対に落としてはならないぞ。」ときつく戒めたという
それからというもの欣勝寺や桑原には雷が落ちたことがないという

この手の話はかなり全国的に伝えられているようですね




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by takibiyarou | 2008-09-22 06:58 | 物語 | Trackback | Comments(0)
2008年 04月 21日
ぬ な 河 の 底 な る 玉 の 物 語
今年の諏訪大社初詣のとき、ふとある古代のロマンスを思い出しました
この諏訪大社は出雲から追われたオオクニヌシの子タケミナカタを祭る神社とされています
タケミナカタ、「建御名方神」この名前には少しだけ記憶があるようです
昔昔、ある地方のある物語の映像化に携わった事がありました、その物語の主は「建御名方神」の父とされる「大国主(オオクニヌシ)」と母とされる「奴奈川姫( 沼河比売 ぬなかわひめ)」のお話でした

この「奴奈川姫」の名は「日本書紀」には登場しませんが「古事記」の「大国主の神話の段」に登場するそうです

昔、 高志の国(糸魚川地方)に賢く、美しい姫がおられたそうです
その頃出雲の国の「大国主命」は方々の国で妻を求めかねていました、そんな折、高志の国の姫の噂をお聞きになられ、求婚の為に
遠いこの地にまでお出ましになられました・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

八千矛の 神の命は、
八島国 妻纏(ま)きかねて

遠々し(遠い通り) 高志の国に
賢し女(さかしめ)を ありと聞かして、
麗し女(くはしめ)を ありと聞こして、
さ婚ひに あり立たし

婚ひに あり通はせ、
大刀が緒も いまだ解かずて、
襲(おすひ)をも いまだ解かね、
嬢子(をとめ)の 寝す(なす)や板戸を
押そぶらひ 吾が立たせれば、
引こづらひ 吾が立たせれば、
青山に ぬえは鳴きぬ。
さ野つ鳥 雉子(きじし)は響(とよ)む。
庭つ鳥 鶏(かけ)は鳴く。
うれたくも 鳴くなる鳥か。
この鳥も うち止めこせね。
いしたふや 天馳使(あまはせづかひ)、
事の 語りごとも こをば

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   八千矛の 神の命は、
   方々の国で妻を求めかねて
   遠々し(遠い通り) 高志の国に
   賢し女(さかしめ)を ありと聞かして、
   麗し女(くはしめ)を ありと聞こして、
   求婚にお出ましになり
   求婚にお通いになり
   大刀の緒もまだ解かず
   羽織もまだ脱がずに
   娘さんの眠っておられる板戸を
   押しゆすぶり立っていらっしゃると
   引き試みて立っていらっしゃると
   青い山ではぬえが鳴いている
   野の鳥のきじは叫んでいる
   庭先でもにわとりも鳴いている
   腹が立つさまに鳴く鳥だなあ
   こんな鳥はたたいて鳴き止めさせてくれ
   下におります走り使いをする者の
   事の語り伝えはかようでございます

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ここにその奴奈川姫(ぬなかはひめ)、いまだ戸を開かずて内より歌よみしたまひしく、


八千矛の 神の命
ぬえくさの 女(め)にしあれば、
吾が心 浦渚(うらす)の鳥ぞ。
今こそは 吾(わ)鳥にあらめ。
後は 汝鳥(などり)にあらむを、
命は な死せたまひそ。
いしたふや 天馳使、
事の 語りごとも こをば。

青山に 日が隠らば、
ぬばたまの 夜は出でなむ。
朝日の 咲み(えみ)栄え来て、
たくづのの 白き 腕(ただむき)
沫雪の わかやる胸を
そ叩き 叩きまながり
真玉手 玉手差し纏(ま)き
股(もも)長に 寝(い)は宿(な)さむを。
あやに な恋ひきこし。
八千矛の 神の命。
事の 語りごとも こをば。


かれその夜は合わさずて、明日(くるつひ)の夜御合(みあひ)したまひき。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   みこと
   わたくしはしおれた草のような女のことですから
   わたくしの心は漂う水鳥
   今こそわたくし鳥でも
   後にはあなたの鳥になりましょう
   どうぞ殺さないでくださいませ
   下におります走り使いをする者の
   事の語り伝えはかようでございます

   青山に 日が隠らば

   真っ暗な夜になりましょう
   朝のお日様のようににこやかに来て
   楮(こうぞ)のような白い腕
   淡雪のような若々しい胸を
   そっと叩いて手をとりかわし
   玉のような手をまわして
   足を伸ばしておやすみなさいましょうもの
   そんなにわびしい思いをなさいますな
   八千矛の 神の命
   事の語り伝えはかようでございます


それで、その夜はお会いにならないで、翌晩お会いになりました

そして「大国主命」と「奴奈川姫」 は結ばれ「建御名方神」が生まれるのです

このお話は単に「大国主命」と「奴奈川姫」とのラブロマンスという意味合ではなく
出雲という文化圏と高志の国の文化圏との出会い、そして融合
言い換えれば当時祭祀の中心となっていた出雲と、祭祀にかかせない玉、翡翠(勾玉)の産地の支配者との関係を意味する記述だと推測されます
この物語をラブロマンスと書きました、勿論映像もその流れの制作となりました
しかし、この物語は本当にラブロマンスなのでしょうか
「奴奈川姫」にはいつも翡翠のイメージが重なります、「ヌナカワ」は「玉の川」の意味を持つとも言われます
おそらく姫川を指すのではないでしょうか
「玉」それは美しくそして少し悲しそうな翡翠です
高志の国(糸魚川)の「奴奈川姫」が身をお隠しになられたと伝えられる姫川の上流は古来、数少ない翡翠の産地としても名高いところです
それに女性を口説くには 「大国主命」の行動はチト乱暴では有りませんか
高志の国に到着したばかりなのに、まだ身だしなみを整えもせず
姫の眠っているその板戸を押したり引いたり、ゆすったり、挙句の果てに煩い鳥を叩けとは

ラブロマンスというよりは、まったく別の匂いがしてきてなりません
翡翠(玉)をめぐる侵略、征服の匂いが

出雲の神話の中に登場する「ヤマタノオロチ(八岐大蛇)」は毎年「古志」からやって来て娘を食べてしまったといいます、その「ヤマタノオロチ」を「スサノオ」が退治するのです
おそらく出雲の国と高志の国の間に争いがあったのでしょう
そしてこの「ヤマタノオロチ」の尾から出てきたのが「都牟刈の太刀(偉大な力を持つ太刀)」であったともされています
この「太刀」はその後、倭姫命から、蛮族の討伐に東へ向かう「倭建命(ヤマトタケルのみこと)」に渡され、野火攻めから脱出する為に草を薙いだ事から「草薙剣」の名前の由来とされているが、クサは臭、ナギは蛇の意で、原義は「蛇の剣」の説が有力なのだそうです

しかしこれらの神話もあくまで高天原系の天孫族を主役とする神話編者の創作にすぎないとする説も多くあると聞きます
これらの説によると

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本来、諏訪神は信濃国の諏訪地方に発生した有力な地方神だったであろう

おそらく大和政権が東方へと勢力を伸ばす過程で、当初はまつろわぬ神として立ちふさがったのだろう

反抗的な人々が信ずる神だといっても、有力神だけに抹殺するわけにもいかない

そこでマイナーなイメージで神話のなかに組み込んだということが考えられる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あまり難しい事柄は私にはわかりかねますが

ここにもまた別の、隠された歴史、伝説があるようですね

今もなお姫川の河底には、美しい翡翠が眠むると言います



ぬな河の底なる玉 求めて得し玉かも 

拾いて得し玉かも
  
あたらしき君が老ゆらく 惜しも      『万葉集十三巻』より







参考にさせていただいたサイト
「フォッサマグナミュージアム」
「奴奈川姫」
「奴奈川姫伝説」
「タケミナカタ」

by takibiyarou | 2008-04-21 05:54 | 物語 | Trackback | Comments(0)
2008年 03月 03日
風 の 三 郎
先日、「春一番」が吹き荒れました
春の訪れなのでしょうか
しかしお山もまだまだ氷点下、とは言っても、温か肌着を着けていればそれほど寒さを感じることなくお散歩できます
しかし、風があるとそうは行きません
体感温度が大違い、特に素手には容赦ありません、八ヶ岳から吹き降ろす風の冷たさはまた格別です
そんな風は農業にとっても大変な困り者
昔から「やんちゃ坊主の三男坊」として「風の三郎」と呼ばれ、各地で信仰とも結びついてきたようです
新潟県や伊豆諸島にも風の神「風の三郎様」として伝えられ、富山の「越中おわら風の盆」もまた風鎮の祭りと聞きます
石川県鹿西町の鎌宮諏訪神社では長さ1尺余の鎌2挺(ちょう)に、新稲穂と白木綿を供えた後に鎌を神木に打ちつけ
鎌舞と呼ばれる風鎮と豊作・豊漁を祈る神事が行われるそうです
それはこの地方でも同じです、昔から八ケ岳颪(おろし)を和らげるために「風切り」と呼ばれる防風林を植え大切に育ててきました
その八ヶ岳に「風の三郎岳」と呼ばれる峰もあったそうです、「権現岳 」がそうだとする説が有力ですが定かではありません
そしてその山麓には「風の三郎社」が現存しています

                                  
この 「風の三郎社」について在郷の研究者「北村宏氏」はかなり詳細な調査研究をされておられます
そんな八ヶ岳の「風の三郎」を調べていくうちに面白い説にぶつかりました

「風の三郎 」と言えば誰でも思い起こすのが、宮沢賢治の「風の又三郎」でしょう
なんと、この「風の又三郎」は八ヶ岳の「風の三郎岳」「風の三郎社」からの発想ではないかとの説なのです
根拠として、「風の又三郎」の下敷きとなる前作の、「風野又三郎」の一節を上げておられます

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そんな小さなサイクルホールなら僕たちたった一人でも出来る。くるくるまわって走れぁいいからね。そうすれば木の葉や何かマントにからまって、丁度うまい工合かまいたちになるんだ。ところが大きなサイクルホールはとても一人じゃ出来あしない。小さいのなら十人ぐらい。大きなやつなら大人もはいって千人だってあるんだよ。やる時は大抵ふたいろあるよ。日がかんかんどこか一とこに照る時か、また僕たちが上と下と反対にかける時ぶっつかってしまうことがあるんだ。そんな時とまあふたいろにきまっているねえ。あんまり大きなやつは、僕よく知らないんだ。南の方の海から起って、だんだんこっちにやってくる時、一寸僕等がはいるだけなんだ。ふうと馳けて行って十ぺんばかりまわったと思うと、もうずっと上の方へのぼって行って、みんなゆっくり歩きながら笑っているんだ。そんな大きなやつへうまくはいると、九州からこっちの方まで一ぺんに来ることも出来るんだ。けれどもまあ、大抵は途中で高いとこへ行っちまうね。だから大きなのはあんまり面白かあないんだ。十人ぐらいでやる時は一番愉快だよ。甲州ではじめた時なんかね。はじめ僕が八ッ岳の麓の野原でやすんでたろう。曇った日でねえ、すると向うの低い野原だけ不思議に一日、日が照ってね、ちらちらかげろうが上っていたんだ。それでも僕はまあやすんでいた。そして夕方になったんだ。するとあちこちから
『おいサイクルホールをやろうじゃないか。どうもやらなけぁ、いけない様だよ。』ってみんなの云うのが聞こえたんだ。
『やろう』僕はたち上って叫んだねえ、
『やろう』『やろう』声があっちこっちから聞えたね。
『いいかい、じゃ行くよ。』僕はその平地をめがけてピーッと飛んで行った。するといつでもそうなんだが、まっすぐに平地に行かさらないんだ。急げば急ぐほど右へまがるよ、尤もそれでサイクルホールになるんだよ。さあ、みんながつづいたらしいんだ。僕はもうまるで汽車よりも早くなっていた。下に富士川の白い帯を見てかけて行った。けれども間もなく、僕はずっと高いところにのぼって、しずかに歩いていたねえ。サイクルホールはだんだん向うへ移って行って、だんだんみんなもはいって行って、ずいぶん大きな音をたてながら、東京の方へ行ったんだ。きっと東京でもいろいろ面白いことをやったねえ。それから海へ行ったろう。海へ行ってこんどは竜巻をやったにちがいないんだ。竜巻はねえ、ずいぶん凄いよ。

  「風野又三郎」より   9月4日の項
                (「サイクルホール」は賢治の造語で「つむじ風」のことのようです)
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なんでも、賢治の生涯の親友「保坂嘉内」は八ヶ岳を望む韮崎の出身で、賢治は彼から「風の三郎岳」「風の三郎社」の話を聞き、「風野又三郎」を書き、そして「風の又三郎」に仕上げたのではないかというのです
また1910年、ハレ-彗星が地球に大接近して世の中を騒然とさせますが、このとき「保坂嘉内」は韮崎の自宅から南アルプスの上にかかるハレ-彗星をスケッチしているそうです
そしてそのスケッチに「銀漢(銀河)ヲ 行ク彗星ハ 夜行列車ノ様ニニテ 遥カニ虚空ニ消エニケリ」と書き記しているのだそうです
この体験を後に賢治が知り 「銀河鉄道の夜」となったのかもしれません

又、「北村宏氏」は「なめとこ山の熊」の熊取り名人「淵沢小十郎」の名前に「小淵沢」
「風野又三郎」「風の又三郎」に登場の地元の子供「嘉助」に親友「保坂嘉内」の一文字が当てられていることを上げ
宮沢賢治が八ヶ岳山麓に並々ならぬ興味を抱いていたと推察されてもおられます

多くの文学との縁深いこの高原に

もう一つの縁を見つける試みは、とても楽しいことですね





by takibiyarou | 2008-03-03 05:13 | 物語 | Trackback | Comments(0)
2008年 02月 25日
送 り 犬 (おくりいぬ)
先日、散歩の途中ノエルに曳かれてぶんた家にお邪魔いたしました
お宅に上がり座るまもなく、ぶんたが私に襲い掛かります
勢いに押され転がった私に馬乗りになり、私の顔を舐めまわします、そんな大歓迎を受けながら、風呂上りのビールをご馳走になりました
ぶんたは生まれ、素性の判らぬノエルより二周りも大きな、数ヶ月前にぶんた家に保護された幸運のワンコです
ビールをご馳走になりながら、ぶんたとの出会いの様子おうかがいいたしました
大泉から高原道路に出たあたりから、車の後を付いて来るワンコに気づかれたそうです
高原道路は交通量も多い道、心配して車を止めると、間隔を保ちワンコも止る
試しに連れていたトイプードルのケイちゃんを見せ、「ワンコもいるよ」というと、トコトコとやってきて、開けたドアから乗り込んできたそうです
ご婦人二人で「こんなデカイ子を、よく保護しようと思われましたねー」の問いに
その時は、全く恐怖感が無かったそうですが
しかし、いざ車に乗ってきた姿を見ると、その大きさにかなり焦り、持っていたパンをちぎって与え続けたそうです

後日、獣医さんも心配して「飼ってくれる人を探しましょうか」と言ってくれたそうなのですが
なんだか、「不思議な出会い」を感じ、ぶんた家の一員となったようです
ついこの間まで愛犬「チャメ」との別れの悲しみに包まれていたご家族ですが、今は私を襲い続ける「文太」を、いとおしそうに見つめます
とても「温かな幸せ」と「不思議な出会い」を感じさせていただきました

そんなぶんたに襲われている時に、ふと思い出しました、「送り犬」

「送り犬」は「送り狼」ともいわれる「妖怪」の一種 (古来ヤマイヌとはニホンオオカミのことを指すようです)
日本各地に生息していたようです


夜中に山道を歩いていると、どこからとも無く犬が現れ、ぴたりと後について来ると言います
だだ、ぴたりと付いてくるだけなのですが、ひとたび通行人が転ぼうものなら襲い掛かってくるそうなので、夜の山道は注意深く歩かねばならないのです
それでも万が一転んだなら、そ知らぬ顔をして「どっこいしょ」「ちょっと一休み」、と言って座った「ふり」をするのです
そうすると、「送り犬」は何もせず、また森の獣などから通行人を守ってくれるのだそうです
そして、森を抜け家まで無事帰れたなら「ご苦労さん」と声をかけ、御礼に何か食べ物でも上げると、いつの間にかいなくなるのだそうです

八ヶ岳の棒道にも

こんな「送り犬」の話がいくつか残っているようです

そんなひとつ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ある日、中馬追い(馬で荷物を運ぶ仕事)の忠衛門はいつものように米をつけて、上諏訪からの帰途
立沢まで来ると秋の日はとっぷり暮れてしまった
花戸ヶ原(はなどがはら)にさしかかると、名物の送り犬につかれたそうな
賽の河原も淋しくすぎて、小荒間の人家近くなったから、安心して後ろを見たら、犬はいなかった
小荒間の村屋を出たら、また、山犬が近づいてきた
それで谷戸村大芦の入り口、鳩川の橋のたもとで
「ご苦労よう」
と言ったら,犬は姿を隠した、そうな

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そしてもうひとつ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

やはり、中馬追いの中島幸左衛門が、花戸ヶ原の中程までやって来ると
1匹のおくり犬が、道の真ん中までのそのそと出て来て、懇願するように幾度か頭を下げる風情をして大きく口を開いたそうな
度胸のよい幸左衛門が犬の口の中をのぞいてみると、さな骨が口の奥にささっていたので、手を入れてそれを取ってやった
するとその犬は非常に喜んで、尾を振り、頭を下げて、森深く立ち去った そうな

幾日かの後
幸左衛門がまた花戸ヶ原にさしかかると、前に助けてやった犬が出てきて、彼の袂(たもと)の端をくわえて引っぱりますので
犬のなすままに、道の小脇のヤブのかげまで行ったそうな
しばらくすると、闇の中にざわざわと物音が聞こえた
気味悪く思って耳をそばだてヤブのかげから透かして見ると、それは、オオカミの大群が過ぎて行くのであったそうな
この大群に出会ったら、それこそ命は危ない
幸左衛門は、 「畜生でも、恩は覚えていたか」と、ひとり言を言った と

オオカミの大群が行き過ぎると、その犬はくわえていた袂の端を離した、そうな。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この「送り犬」または「送り狼」のお話は日本各地に残っているようですが
どのお話にも、共通した性格が見て取れます

・どこからとも無く「山犬」もしくは「狼」が現れピタリと後に付いてくる

・ただついてくるだけで、何にもしない

・しかし、通行人が倒れたらすかさず襲う

・たとえ倒れても「どっこいしょ」と言って休んだふりをすると襲われない

・火を焚くといなくなる

・無事家まで送ってくれたなら「ご苦労さん」と声をかけ、御礼に何か食べ物でもあげる

そして

・喉に刺さった骨をとってやると、恩返しに身を守ってくれる

などなど全国的に共通したお話となっています

ニホンオオカミは人の行動を監視するために後をつける習性があったとも聞きます
そして、不思議なことにこれらのお話にはまるで恐怖感がありません、それどころか、何か温かさが伝わってくるような気さえするのです
農耕民族である日本人は昔から「山犬」や「狼」に対し畏敬の念を持ち、決して敵対関係には無かったようです
自然から人々は多くの恩恵を受けています、そして人もその自然の一部
森で行き倒れれば、その肉体は当然元の自然に返るのです、「山犬」や「狼」は自然そのものなのでしょう
当時の人々と自然(森)との濃密な関係を窺い知るようなお話ですね

                        立沢大橋と八ヶ岳

それにしても「花戸ヶ原」とはどのあたりでしょうか
諏訪から棒道で立沢通を過ぎ小荒間の間、そういえば少し上の方ですが「鼻戸屋」という場所が在ります、その下辺りでしょうか

もしそうだとすると、ノエルの森のすぐ近く

これから森を散歩する時には

決して転ばぬように、じゅうぶん気をつけなければなりません

そして

「どっこいしょ」を、口癖に






by takibiyarou | 2008-02-25 05:36 | 物語 | Trackback | Comments(0)
2008年 01月 22日
悲 し い き 鬼 の 物 語
今年の初詣は諏訪大社 に詣でました
荘厳な神社に詣でるとなぜか思考は古代へと誘われます
この諏訪大社は出雲から追われたオオクニヌシの子タケミナカタを祭る神社だといわれます
しかし、追われた神にしてはその影響力の巨大さはどうしたものでしょうか
どうもこの神話にも裏がありそうです

そんな連想は出雲へと飛び、そして我が故郷「吉備の国」へと向かいます

「吉備の国」は現在の岡山、あの桃太郎伝説のある地方です
桃太郎は「吉備津彦命」、そして退治された鬼の名を「温羅(ウラ)」という
確か、そんなふうに教わりましたでしょうか
現在まで「吉備津神社」には「鳴釜神事」なる奇妙な神事が伝承され
そして歴史書に一切記されていない古代朝鮮築城様式による「鬼ノ城」(キノジョウ)は、謎のベールに包まれたままです

この桃太郎伝説の大方の見方は、鬼は悪者で桃太郎は正義の味方

果たして本当にそうなのでしょうか

幾多の御伽噺や伝説がそうであるように、歴史は常に勝者・為政者によって創られてきました
表の歴史・伝説です、それに対し必ず裏の歴史・伝説もあるはずです

永い年月に埋められ封じ込められた、隠された物語が

どうやら、この桃太郎伝説にも悲しい裏の伝説があるようです


それはいつの頃のことでしょうか、朝鮮半島から大きな船が「吉備の国」を目指してやってきました
乗っているのは「百済の王子」、しかし人々を驚かせたのはそれだけでは有りません、それは彼の風貌
「両眼は爛々として虎狼のごとく、茫々たる鬢髪は赤きこと燃えるがごとく、身の丈一丈四尺にも及ぶ」
と「吉備津神社縁起」にも有りますので、もしかすると見上げるような長身の金髪・碧眼の西欧系だったのかも知れません
長旅でその髭は伸び、頬はこけ、目は爛々と光っています
半島での戦いに破れ、当時交流関係にあった「吉備の国」に逃げ延びてきたのです
そしてこの船には造船をはじめ製鉄などさまざまな百済の優れた技術者も乗せていたようです
吉備の国はこの百済の一行を温かく迎えます
そして半島からの追っ手に備え、朝鮮式の古代山城にならって標高400mの山頂に城を築きます
この城はそれまでの城とは違い、周囲に城壁を巡らせ、そばの岩屋山には楯を構えたものです
百済人はこれを「ウル」と呼び、人々はその王子を敬い「温羅(ウラ)」と呼ぶようになります
この渡来人のもたらした最新の技術により、吉備の国はたいそう栄えたそうです
吉備高原や中国山地で採れた砂鉄はこの地に集められ、蹈鞴(タタラ)製鉄が行われるようになったのです
このことが後の「備前の名刀」の礎となったとも言われています
こうして城のふもとに広がる阿曽郷(あそのごう)は鋳物師(いもし)の地となったのです
そして「温羅」は阿曽郷の神職の娘・「阿曽媛(あそひめ)」を妻にめとり、吉備の国の首領となり「吉備冠者(きびのかじゃ)」、とも呼ばれました

しかし、この地方豪族の繁栄は全国統一をもくろむ大和朝廷にとって決して喜ばしいことではありません
大和朝廷はその勢力拡大のために各地に将軍を派遣する事となります
そしてこの地に派遣されたのが「五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)、後の吉備津彦命(きびつひこのみこと)」なのです

ここに 戦の火蓋は切って落とされます

武勇に優れた「命(五十狭芹彦命)」は次々と矢を射ますが、ことごとく豪腕の「温羅」の投じる岩に打ち落とされてしまいます
勝負は五分と五分
このとき「命」は「温羅」のあまりの強さに「鬼神」を見たのです
そして「命」 は秘策をもってこの「鬼神」に対します
それは一度に二本の矢を射るのです、一本はやはり岩に打ち落とされますが、残る一本が「温羅」の左目を射抜きます
その鮮血は川(血吸川)を染め、浜〔赤浜)までを真っ赤に染めたそうです
雉に姿を変えて山中に隠れた「温羅」を「命」は鷹となって追います
そこで「温羅」は鯉に化けて血吸川に逃れます
勇猛なる「温羅」がここまで逃げ惑うのには訳があったのでしょう、一身に敵を引きつけ、妻や近しい人々を救おうとしのでは無いでしょうか
しかし、鵜となった「命」に囚われその首をはねられるのです

人々は嘆き悲しみます、その嘆きに応えるように「温羅の首」はうなり続けたそうです
これに驚異を感じた「命」は「温羅の首」を犬に食わせ、御釜殿のかまどの下に埋めるのです、それでも十三年の間「温羅の首」はうなり続けます

しかし当時の人々は、新しい支配者に媚び従うしか生きるすべは有りませんでした

そして「五十狭芹彦命」は吉備冠者(きびのかじゃ)「吉備津彦命」となり「温羅」は「鬼」となったのです


ある夜「命」の夢枕に「温羅」が立ち告げます

『吾が妻、阿曽郷の祝の娘阿曽媛をして命の釜殿の神饌(みひ)を炊がめよ、若し世の中に事あれば竃の前に参り給はば幸あれば裕かに鳴り、
禍あれば荒らかに鳴ろう。命は世を捨てて後は霊神と現れ給え。われは一の使者となって四民に賞罰を加えん』 と

「命」がお告げ通りにしたところ「温羅」のうなりは治まり

ここに釜の鳴り具合でその年の吉凶を占う釜占いが始まりました
現在でも「吉備津神社」では「鳴釜神事」が執り行われているようです

後に「温羅」は「吉備津神社本殿」の鬼門〔丑寅)にあたる「艮御崎宮(うしとらおんさきぐう)」に祀られました
(このときから丑寅に祭られた鬼は、牛の角を有し、虎皮のパンツをはいているのでしょうか)
現在も各地に残る「艮御崎宮」の存在は、いかに人々が「温羅」に対し畏敬の念をもち続けたかの証にも思えます
そして、もう一つ
この壮大なる「吉備津神社」とほんの1Kmほど離れた場所に「吉備津神社」があります、どちらも祭神は「吉備津命(キビツヒコノミコト)」

なぜ

なぜ、こんなに近い場所に同じ人物を祭らねばならないのでしょうか

「吉備津神社」は単純に吉備津命をお祭りしていますが、他方「吉備津神社」は祭神は勿論のこと、討たれた鬼おもお祭りしているのです、そして「鳴釜神事」までも


もしかすると、人々の 本当にお祭りしたかったのは

「鬼」とされた「温羅」の方だったのかもしれません

なぜだか、そんな気がしてなりません




もう一つの桃太郎伝説



悲しいき鬼の物語






参考にさせていただいたサイト

「鬼に出会う。吉備路」
「古代国家吉備の謎に迫る」
「吉備津神社縁起」
「古代吉備王国の旅」
「鬼ノ城」
「鬼ノ城の復元」
「吉備津神社」
「鳴釜神事」





by takibiyarou | 2008-01-22 06:11 | 物語 | Trackback | Comments(0)