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木洩れ日の森から

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2012年 04月 19日

晴れ時々隠居

年金制度は巣食うシロアリに食われボロボロ、その修復の目処さえ立たないその上に
今度は年金基金まで博打でスッテ、すってんてん
私の老後、どうなってしまうのでしょうか、隠居の夢は遠のくばかり・・・

隠居、ご隠居さん

なんと魅惑的な響きなんでしょう

若い時から「ご隠居さん」に憧れる

「隠居」、辞書を引いてみますると

1 官職・家業などから離れて、静かに暮らすこと。
  また、その人。民法旧規定では、戸主が生前に家督を相続人に譲ることをいう。

2 俗世を離れて、山野に隠れ住むこと。また、その人。

3 江戸時代の刑罰の一。
  公家・武家で、不行跡などを理由に当主の地位を退かせ、俸禄をその子孫に譲渡させた。

とある

別に引き継がねばならぬほどの官職・家業など有りはしないし、世を捨てて鴨長明を気取る気もさらさらない
まして、罰を受ける覚えもありません

しかしながら、ご隠居さんに憧れます

「隠居願望」

こんなこと申しますと
今更なんだ、ほとんど隠居ではないかと言われそうですが
私のは週末隠居
まだまだ食いぶちは稼がねばなりません、なので楽隠居は夢のまた夢
たとえ隠居がかなったとして
根岸のご隠居のような悠々自適なわけにはまいりません
やはり、落語に出てくる「横丁のご隠居さん」あたりが狙い目ですかねー
決して裕福では無いにしろ、質素な暮らしをそれはそれで楽しんで、そんでもって
物知りの様でもありますが、八つぁん、熊さんに少し突っ込まれると、苦し紛れにトテツモナイ
こじつけでまんまとけむにまく
そんな爺いで有りたいもんです
そんなご隠居さん、落語では必ず横丁に住んでおりますが
私には横丁ぐらしはできなさそう、やはり森に暮らしたい

ところで
よく隠居生活など、暇で暇で仕方ないでしょうと言われますが
決して、そうではありますまい

目を閉じて

憧れの我が隠居生活を思い描いて見ますると

まずは、ご隠居たるもの朝は早くから起き出さねばなりません
着るものは、着古した作務衣が数着あればよし
あつ~いお茶などすすり、散歩は日課
散歩から帰ってくると、鳥に餌をやらねばなりません、メジロだとか鶯だとかが定番です
しかしながら鳥籠はかわいそうなので、森の野鳥としましょうか
次には、盆栽の水遣りが待っています、これも枝振りの良い老松などではなく
森から借りた、実生の楓と杉苔と
散歩で摘んできた野の花も、なげげ入れましょう
朝餉のご飯だって炊かねばなりません
おかずは焼いた塩ジャケ、梅干しとお味噌汁、こんなもんで十分でしょう
竹箒を持って、庭の落ち葉履きだって隠居の仕事
そんでもって、自分の食べる野菜ぐらいは自分で作りたいものです
畑の世話にも出かけます、大根、人参、芋、白菜、茄子も欲しいところです
もちろん、とれた野菜は、ご近所に持って廻ります、お節介もご隠居の特権
一服ついでに少し本など読みますか
八つぁん、熊さんに突っ込まれた時のため、多少の知恵もつけませんとね~
もちろん、本は図書館で借りるのです、できる限りものは買わない増やさない
まだブログ、続いてますでしょうか、もし続いているならば少し書きますか
他愛のない雑文でも
森暮らしであるならば、冬に備えての薪割りもせねばなりますまい
そうこうしていますと、お昼です
お昼は、うどんくらいが良いですかねー
お散歩で採ってきた、山菜の天麩羅なんぞが有りましたら、どうしてもビールくらい欲しくもなりますが
知り合いの冠婚葬祭なども、余程親しい方でなければ行きません、これも隠居の身ならばこそ
もちろん、老人クラブなんぞには決して入りはいたしません、徒党は組まず
ビールの酔がまわってきたなら、デッキでお昼寝
目が覚めましたら、もうお散歩の時間、夕日に向かって歩きますか
さて、夕餉
もちろん晩酌は欠かせません
医者から言われると、仕方なく薬だって飲みますが、それでもお酒も呑みまする
老いと病は余生の道連れ
それでころっといけたなら、それはそれで幸せです
肴はメザシなんぞを炭で炙り、山菜のお浸しと冷奴
これだけあれば自慢の徳利で、二合くらいははいけまする


仕事を辞ることを、リタイヤすると言いますが
これと「隠居」とは少し違うような気がします
ただ単に生活の糧を得るための仕事を辞めるということだけではなく
隠居とは、もっと積極的な遊びへの執着
そして老いや病、死をも受け入れ
ジタバタせず、ただ軽みに遊ぶ、「粋」


敬愛する
江戸の達人、杉浦日向子さん
若くして亡くなられましたが
そのお言葉に

三十四を隠居の年と決めていた。
それは十七の時、あと折り返し十七年シャバにいれば存分、と思ったからだ。
もとより隠居体質なのだろう。

起きては伏し、その間にちっと呑む。
無為の日々。
たまさか生かされているだけの存在。
問答無用の無手勝流。
「隠居になる」とは、「手ぶらの人になること」と思う。
「手ぶら」は、持たない、抱えない、背負わないだが、ポケットに小銭はじゃらじゃら入っているし、煩悩なら鐘を割る程胸にある。
だから、抹香臭い「無一物」やら「清貧」とは、まるで違う。

世俗の空気を離れず「濁貧」に遊ぶのが隠居の余生だ

又ある対談の中で

隠居には隠居の覚悟があります。
健康志向や、年齢より若く見せる化粧、ファッション、毎年の人間ドックなど、生老病死のうち
生のところだけをなるべく引き延ばすのが現代人でしょう。
しかし、隠居する以上は、生老病死を順繰りに受け入れる。
医者にはなるべく近づかない。
ポックリ逝くためには、心臓は弱いほうがいい。
一方、頭はなるべく使って鍛えておく
体にいいことはしない。
それから体に悪いもの、とくにアルコールは積極的に取るようにしています。
生活の上で、衣食住のすべてを縮小しました。
ここ三年ぐらいはほとんど服を購入せず、古いものを着回しています。
なるべく食べず、食費はお酒に回す。
今より部屋数が少ないところに引っ越しをする。
冷蔵庫が壊れたら、どんどん容量の少ないものに買い換えてゆく。
テレビも小さいものにしてゆく。
まず家族を捨てることですね。
芭蕉だってあっさり捨てちゃいましたもの。
その勇気がなければ「晴れ時々隠居」という手があります。
あと、三畳一間のアパートを隠れ家に持つことです。
ただし町中に。
田舎じゃ駄目ですね。
隠居は遁世とは全然違う。
隠居は都市文化そのものなんです。
仕事を労働とは思わず、道楽ととらえること。
それから、予定を立てない。
その日その日のハプニングを楽しむゆとりを持つ。

ご自分の病を承知の達観でしょうが

こうありたいものです



さて、酔もまわってきました

少し早いですが

寝るとしますか


晴れ時々隠居_d0082305_73553.jpg




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by takibiyarou | 2012-04-19 06:53 | 雑観


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