木洩れ日の森から

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2013年 09月 26日

秋の夜長、古代史に思いを馳せる

ここしばらく「日ユ同祖論」関係の本に目が行きます
「日ユ同祖論」とは、簡単に言うと日本人の祖先は、古代ユダヤ人であった
とする、かなり突飛な論であります
しかし、まさか・・・と思いながらも
日本の伝統文化と考えていた事項の、あまりにも多くの古代ユダヤ教、旧約聖書との類似あるいはそのものズバリの同一の事柄を
示され、見せ付けられますと
それらに反論することもできぬままズルズルと、引きこまれて行く私があります・・・

しかし、これらの書籍は殆ど、ユダヤ教或いは、基督教の関係者による研究です
旧約聖書との関わりがポイントであるため致し方のないことなのでしょうけれど
少しでも客観的に考えてみたいと思い、なんとか宗教関係者以外の研究書は無いかと・・・
そして、古代日本においての渡来人を語るには、どうしても「秦氏」抜きには語れません
しかしこの秦氏、非常に謎の多い集団なのです
そして、私達の学校教育では殆ど登場いたしません
なぜだろう?との問に
ゴウスケ家曰く、日本人単一民族説にはあまり嬉しくない歴史なので
なかった事にしたいのだと
確かしそうとしか考えられませんねー~
かつて、歴史は世界史であれ日本史であれ
為政者、つまりは勝者が作った歴史であります
このことは現代世界にも当てはまる様です
いずれ、天安門事件など消し去られるであろう某国しかり・・・

歴史には常に裏の歴史あり

こいつが、実に面白い

お酒の肴には最適であります


図書館から借りた分厚い本
大和岩雄著「秦氏の研究」
難解で、一向に進みません・・・

秦氏とは、五世紀に弓月君(ゆづきのきみ)が約二万人(日本書紀、新撰姓氏録を信ずるならば)もの人々を伴い日本に帰化し
その後の日本文化に対し多大なる影響をもたらしたとされる、渡来人集団であります
現在日本の神社の大多数を占めるのが、八幡神社と稲荷神社であります、が
なんとこの2つの神社の創立は「秦氏」によるとされる
そしてあの平安京遷都は「秦氏」無くしてはできなかった大事業であると
また、聖徳太子の側近として多大なる影響を与えた「秦河勝」
そして京都に「太秦(うずまさ)」の地名を残したのも「秦氏」であると・・・

かつて哲学者「梅原猛」氏は、私は哲学者であり歴史学者ではない、であるから、閥に囚われることなく
ものが言える、として「隠された十字架」を著し「法隆寺の七不思議」とされていた事項をすべて解き明かしました
これは、私達が教わってきた法隆寺は聖徳太子が作った寺、との常識を覆し
法隆寺は「聖徳太子を封じ込めた寺である」とする仮説からすべてを解読してゆくものであります


大和岩雄著「秦氏の研究」

日本書紀によると
応神天皇十四年百済から弓月君(ゆづきのきみ)来朝
弓月の人夫(たみ)を加羅から連れてくるため、葛城襲津彦を派遣
応神天皇十七年弓月の人夫、葛城襲津彦とともに来る

又、新撰姓氏録には
中哀天皇八年、功満王来朝
応神天皇十四年、融通王(弓月)百二十七県の百姓を率い手帰化
応神天皇十四年、功智王・弓月王来朝・上表。更に帰国し、百二十七県の百姓を率い手帰化

とある


難解で、眠気を模様してきましたので
気晴らしに、ラビ・マーヴィン・トケイヤー著久保有政訳の
「日本・ユダヤ封印の古代史」に浮気

ラビ(Rabbi)とは、ユダヤ教教師のこと
十数年ラビとして日本に住んだ著者のユダヤ教教師としての目から見た
日本の様々な文化、そして日本人の生活風習、そして生き方
そこに驚くほどのユダヤとの符合共通点に彼自身驚愕する

その中でも一番驚いたのが
八ヶ岳の裾野諏訪湖の辺り、長野県の諏訪大社
この神社で行われる奇祭「御柱祭」とユダヤとの符合は以前「消えた10枝族」で記したと思いますが

この諏訪大社の前宮で行われる祭り「御頭祭(おんとうさい)」

少年が「御贄柱(おにえばしら)」と呼ばれる柱に縄で縛り付けられる
次に人々は少年を、柱ごと竹のむしろの上に押し上げる
そのいとき神官が小刀を取りだし、それを振り上げる
すると、別のところから使者が現れ、それを止め、少年は解き放たれる

江戸中期の国学者であった菅江真澄が「御頭祭」についてそう書き残した文章が残っている(そうです)

旧約聖書巻頭「創世記」
ある日、神はアブラハムに、「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい」と命じる
「そして、あなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとして、イサクを私に捧げなさい」(創世記二二章)
モリヤの地で、アブラハムはイサクを縛り、祭壇のたきぎの上に置いた
彼は小刀を取り出してイサクをほふろうとした
と、そのとき神の使者が現れ、彼の手を止めた
御使いは、「あなたの手を、その子に下してはならない」「その子に何もしてはならない」
「今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは自分の子、自分のひとり子さえ
惜しまないでわたしに捧げた」と言った
そしてアブラハムが目を上げてみると、そこに「角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた」
アブラハムは行ってその雄羊を取り、それを自分の子の代わりに全焼のいけにえとして捧げた
アブラハムはそれで、その場所を「ヤハウェ・イルエ」と名づけた
これは「主は備えてくださる」の意味である

これに対し諏訪大社の「御頭祭」では75頭の鹿の頭が捧げられたという
この「御頭祭」、明治のはじめまでは行われていました、現在では少年を縛ることや、鹿の生贄は行われていない
しかし、祭りと「御贄柱」の風習は残っており鹿の剥製が用いられている(守矢資料館にて公開されています)
何故にこれほどまでにイサク伝説と類似した祭りがこの地で行こなわれているのか?
そしてまた、諏訪大社のご神体は「守屋山(モリヤ山)」という山であると言われています
これは一体・・・

また、本書では「ミシャグシ信仰」にも触れ、「御・イサク・チ」と解釈して、ユダヤ教と関連付けていますが
これはちょっと頂けませんが

ミシャグシとは
諏訪大社の神官を代々勤めてきたのが「守矢」という一族でした
この守矢一族がお祀りしている神が「ミシャグジ」の神様です
「神長官記念館」の奥にミシャグシの御本体があり、上諏訪・下諏訪にかけて、沢山のミシャグシと呼ばれる神様があります。
この神様はある特徴を持っていて「湛の木」という植物の根元に神様がいて、この御神体は、かつては石棒が置かれ、そして石皿が置かれていたことが記録に残っています。
        「甦る高原の縄文王国」中沢新一より

とあり、守矢一族がお祀りしている神であるならば、やはり何だかかの関連がありそうな・・・

また、地名「石神井」などもミシャグシとの関連がささやかれる



などなどと、調べてみたい

面白きこと満載なれど

いささか酔も回ってきたようです

今宵はこのくらいに

しておきますか



なんだか支離滅裂なることと相成りました


秋の夜長

酒呑みの

戯言と

お許しくだされ・・・

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by takibiyarou | 2013-09-26 22:52 | 猩壺庵 | Trackback | Comments(0)
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