木洩れ日の森から

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2006年 08月 07日

蝉 時 雨

今年は蝉の鳴くのが遅いような気がします、長い梅雨のせいでしょうか
蝉の声を聞くとやっと夏らしく感じます。

暑くなってきた矢先、我が家の冷蔵庫にもガタがきたようです。
キッチンをリホームしたときに新調したものですので、かれこれ18年、良くぞ頑張ってくれたと思います。
この時期に冷蔵庫が壊れるとかなり困ったことになりそうです、何とかしなければならないでしょう。蝉の声に急かされる思いです。
真夏の日差しの中で蝉の声を聞くとなぜだか、昔の記憶が突然にフラッシュバックしてきます

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蝉時雨・真夏の日差し・氷・泥だらけのゴム草履・・・・

昔、私が小学校2,3年生くらいの頃、我が家に氷式の冷蔵庫が在りました。
木製のごつい金具のついた上下二つ扉の金庫のようなやつです。
上の部屋に氷塊を入れ、下の部屋の食料を冷やす仕組みで、スイカ一つで一杯になる代物です。この氷の買い出しが当時私のお仕事でした。
金額は定かではありませんが、小銭を握って買い物籠(マニラ麻を編んだ様な)持参で町内の氷屋さんへ氷を買いに行くのです。今では氷屋さんなどついぞ見掛けませんが、当時は町内にも在ったのでしょう。
薄暗い店の奥に入っていくと急にゾクッとするほどの涼しさと共に、シヤリ、シャリと氷を鋸で挽く音が聞こえてきます。
シヤリ、シャリと驚くほど歯のでかい鋸で挽き、最後は鋸の背でコツンと割って四角くします。
一度やりたくて仕方ありませんでした。
店の人にお金を渡し、「大丈夫か?」の声を背中に一貫目の氷を持って帰ります。
真夏の日差しが容赦なく降り注ぎます。
その真夏の日差しが、買ったばかりの氷を融かします。そして滴る氷水が短パンを濡らし足を伝います。
当然その頃は舗装などされていません。籠の持ち手が食い込み、しばし立ち止まると足元は泥んこ。泥だらけになったゴム草履はぬるぬると滑って益々足を引っ張り、頭には家に辿り着くまでに氷が融けてしまうのではないかと言う不安と、家で待っているであろうオレンジ味のジュースとが交差します。少しづづ融けて軽くなるはずの氷はどう言うわけか段々重くなっていくのも不思議です。同じ町内のお店ですからそれほど遠いわけではない筈ですが、終いには引きずる様な状態となり、それでも何とか辿り着き肘で玄関を開け、声も絶え絶えに母を呼びます。
母に氷を渡し、足拭きの雑巾を待つ間心地よい疲労感と、成し遂げた充実感に浸りながら玄関の上がり框に腰を下ろし見上げれば、薄暗い玄関と対照的に夏の日差しが真っ白に輝いていました。

ふと気付くと

割れんばかりの、蝉時雨


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写真は記憶に基づきお借りして来ました

# by takibiyarou | 2006-08-07 11:42 | 雑観・雑考 | Trackback
2006年 08月 04日

金 繕 い

気に入った器での食事はより一層味わい深いものです。
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しかし大切にしていた器、あるいは長い年月を経てきた年代物の器も、使えば必ず壊れる、それが陶磁器の宿命です。
しかしそれでその陶磁器の命を終わりとするには忍びないものです。そのような陶磁器の補修技術の一つに「金繕い」があります。
昔、私がまだ小さい頃我が家に20センチくらいの九谷の角皿が有りました。祖父が大切にしていたと記憶しています。
その角皿には金の梅ノ木の枝が描かれていた、と私は思っていたのです。が、あるとき父に尋ねてみると、少し渋い顔をして「お前が上に座って、割ったのを爺さんが継いだのだ、あれは梅の枝ではなく金繕いの跡なんだ」と教えてくれました。
角皿を大切にしていた祖父には失礼ですが、その補修された跡は決して違和感がなく私にはごく自然に映りました。これが私と「金繕い」との最初の出会いだったのでしょう。
「金繕い」は欠けた陶磁器を漆で補修し金粉や銀粉で仕上げます。
ほかの補修法と違いその傷を決して隠すことはしません、それどころかその補修あとを一つの景色として捉えるのです。この日本人の美意識は「金繕い」を単に陶磁器の補修技術としてだけではなく、「侘」・「寂」としてもう一つの価値観へと昇格させました。
欠けてしまった器は傷物で人前に出すのは憚られますが、これらに「金繕い」が施されればそれは決して、欠陥品とは見なされません、新しい美の創造なのです。
ゆえに、多くの国宝や重要文化財に指定された陶磁器の中に「金繕い」のほどこされたものが、数多く見られるのです。もちろん、「金繕い」したからといって何でも価値が上がるものではなく、それなりの卓越した美意識と技が必要となるのは言うまでもありません。
しかしながら、気に入っていた器の補修にこの「金繕い」を用いることは、それほど難しいことではありません。卓越した美意識と技はないまでも、この所かなりの数の「金繕い教室」などのカルチャースクールの情報を目にしますし、またその道具、材料なども出回っていて少し大きな画材屋さんであれば、容易に入手できます。また、昔と違いすばらしい塗料や接着剤・パテなども開発されていますので割と簡単に短時間でできるのです。 我が家で使うレベルの器はこの程度の金繕いで十分です
そんな「簡単金繕い」に少々はまっています。

興味のある方は
金繕い


# by takibiyarou | 2006-08-04 12:59 | 雑観・雑考 | Trackback | Comments(0)
2006年 08月 03日

ワ ク ラ バ

「病葉」と書いてワクラバと読む
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その意味を知人のブログで最近知りました。
病葉とは、「病気で枯れた葉。特に、夏、赤や黄に変色して垂れたり縮まったりした葉。[季]夏。」だそうです。
昔、「ワクラバを今日も浮かべて・・・川は流れる」と意味も知らず歌った記憶がありますが、それ以来訳もなく耳に残っている言葉でした。

知って如何する訳でもありませんが、

少しスッキリした思いです、









「病葉を振り落しつゝ椎大樹   虚子」

# by takibiyarou | 2006-08-03 12:57 | 雑観・雑考 | Trackback | Comments(0)
2006年 08月 02日

カメラ

つい最近亡くなった
父のコレクションの中にコンタックスが有りました。
銀色に輝くいわゆるクラシックカメラです。
その昔ほしくてほしくて仕方なかったが買えなかった憧れのカメラだったそうです、それが5.6年前、眼前に現れたので、すぐに購入した、とうれしそうに話していたのを記憶しています。
このカメラは陛下もご愛用と伝えられた物で父のお気に入りでしたが、今ではこのカメラに使用できるスプール(フイルムの巻取り軸)タイプのフイルムなど手に入りもせず、もっぱら、私が帰郷したときの酒の肴としての役目を担って来たカメラです。
その昔、父は上から覗くミノルタの二眼レフを使い、写した写真を自宅で現像・焼き付けするのを楽しみにしていました。窓に暗幕を引き暗室用の暗い電灯の下、現像液の中から浮かび上がる画像に一喜一憂していたのを思い出します。その後新たに購入したミノルタ一眼レフを借りたのが私とカメラの最初の出会いだったと記憶しています。
その後はニコンの一眼レフですが、学生のときは学校から借りた「ゼンザブロニカS2」をもっぱら使用していました。6×6の中判フイルムを使用し、馬鹿でかい一眼が特徴で、上からガラス面に映った画像を覗き込むクラシックな方式がえらく気に入っていました。
このブロニカは現在レンズメーカーのタムロンに吸収された様ですが、そのネーミングの「ブローニーフィルムを使用する善三郎(創業者の吉野善三郎)のカメラ」と言うところが実に面白いです。
現在はニコンのデジタル一眼レフを使用していますが、現像代を気にしながら恐る恐る切った、あの時のシャッター音を
懐かしく思うのは、私だけでしょうか。

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# by takibiyarou | 2006-08-02 12:55 | 雑観・雑考 | Trackback | Comments(0)
2006年 08月 01日

Welcome light

我が山荘は築40年の代物であります,
当然老朽化が進んできました.。ぼちぼち建て替えあるいは、リホームを考えねばならないようです。確かにキッチンは狭すぎるし、お風呂は休業状態ですし、トイレもウオッシュレットにしたいし、屋根もそろそろ危なくなってきています。
しかし、この40年たってやっと森が受け入れてくれそうな外観を考えると、むやみに新しくする訳にもいきません。
そして、もちろん建て替えるだけの資金的余裕もありません・・・やはり目指すはリホームでしょうか。
このところこのリホーム計画で楽しんでいます、計画だけで楽しめるのですから安上がりです。
せっかく森が受け容れてくれそうなこの外観を、どう継承するか、難問です。
森人の聖書的なH・D・ソローの著書「森の生活」の小屋は理想ですが、なかなか俗人の私にはまねができませんし、ライフスタイルが違いすぎます。
しかし森に挑むのではなく何とか森に溶け込みたいと思うのであります。

リホームに掛かれるのはまだまだ先になりそうですので、これからもずいぶん楽しめそうです・・・

私たちのライフスタイルに合わせキッチンが主体になりそうですが、水回りの事、窓の事薪ストーブの事、など、木洩れ日のデッキで想い巡らすこのひと時が、私にとって至福の時。
とはいえ、かなり森に同化してきた我が山荘(老朽化してきた)、夕暮れになるとアプローチでさえ踏み迷いそうです。
そしてそれが気に入っているので、むやみに変えたくもありません。そこでアプローチにWelcome lightを設置してみました。
以前実家から持ってきた窯割れ備前の破瓶(やれがめ)に蝋燭を灯します。なかなかいい雰囲気では在りませんか!。
そしてアプローチの所々に、ちょっとお洒落なランプスタイル、これももちろん蝋燭仕様。
真の闇と化すノエルの森には最適のようです

足元に迎え火灯し朋を待つ

なんだか茶人になったようで愉快です。

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# by takibiyarou | 2006-08-01 12:55 | 八ヶ岳 | Trackback | Comments(2)
2006年 07月 28日

果 実 酒

お酒はいたって好きな方です。
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何でも呑みます、最近は特にワインをよく呑むようになりました。
しかし甘いお酒は苦手です。
なので、梅酒を漬けたことが有りません、レシピで見る氷砂糖の量で、造る意欲が減退するからです。
ところが今回小笠原の友人からパッションフルーツが届き、果実酒を造って見たくなりました。以前清里の友人宅でパッションフルーツの酒をご馳走になり、その素晴らしい香りを思い出してしまったからです。
パッションフルーツはあまり馴染みのない果物ですが、ネットで調べてみるとトケイソウの実だそうでレモン位の大きさで杏のような赤い色の途方もなくすっぱい果実です。
その代わり、香りは飛びぬけて素敵です。普通の食べ方は、皮がしわしわのなったところで二つに切り、そのトマトの種をもっと硬くしたような中身をスプーンで食べるそうですが、あまり食べ応えはありません。
そこで清里の友人のレシピを頂き、挑戦してみました。
彼女のレシピはお砂糖がとても控えめなので私向きの果実酒ができそうです

後で聞いた話によると
3週間くらいで取り出したパッションフルーツを捨てずに、二つに割り、中の果実をアイスクリームにトッピング
かなりいけるそうですよ

# by takibiyarou | 2006-07-28 12:53 | 雑観・雑考 | Trackback | Comments(0)
2006年 07月 27日

山 椒 の 実

ノエルの森から少し下の友人宅に3m位の山椒の木があり、毎年7月頃にはこの木に実がたくさんなります。
何年か前、この実を頂き家内が「鯖の山椒煮」を作ったことがあります。
採りたて山椒の実をふんだんに使い、大変贅沢な「山椒煮」です。
これが、大好評、確かにうまいです。
口の中が痺れるのを我慢しながら、少しづつ食べますが、こいつが癖になります、やめられません。お酒の肴に、暖かご飯に、最高です。今では、我が家の恒例となってしまいました。
この時期になると皆さんが、「鯖の山椒煮」はまだですか?との催促です。
亡き父などは逝く寸前まで「鯖の山椒煮」はまだか?と言い続けたそうです。

こうなるとやはり、「my山椒の実」がほしくなるわけです。
ノエルの森にも山椒の木はたくさん在りますもちろん本山椒です、しかしどれも未だに実がなりません。そこで「実山椒の木」探しです。
しかし植木屋さんに相談するも、実がなるかどうかは花が咲いてみないと分らないそうです。そこを何とかお願いし、それも苗木ではなくできるだけデカイ成木。

待つこと1年余り。2005夏、単身赴任で名古屋に居たときです。植木屋さんから「実山椒の木」入手の一報がありおっとり刀で植木屋さんに向かいました。
ありました!、1.5m位の「実山椒の木」です、「朝倉山椒」と言う実を採るために改良された女木だけの棘のない品種です。そして、「朝倉山椒」ではないけれど実がなりそうな山椒約10本、すべていただきご近所さんと分けて早速ノエルの森に植えたのですが、ちょうど梅雨が明けた頃ですので、水やりが心配です。そんなおり、ご近所さん宅の昔枯れそうだった山椒に実が成りました、ほんの数粒ですが、大喜びです。
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そして今年2006 7月、とうとう我が家の山椒にも、待望の実が成りました。
例の「朝倉山椒」とあと二本、その一本は6年ほど前に植えた木で、諦めていたものでした。間伐の成果でしょうか。しかし、まだまだ三本合わせてもほんの一握り、「鯖の山椒煮」の宴には友人宅の山椒の実のお世話にならなければなりません。


藤原 健
備前 火襷中皿

# by takibiyarou | 2006-07-27 12:48 | 雑観・雑考 | Trackback | Comments(0)
2006年 06月 10日

noel が 家にやって来た




ノエルは1999・12月25日

そうクリスマスにやって来ました。



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そのノエルも2003の今年で4歳となり、そしてもうすぐ5回目の記念日です

「クリスマス」

ノエルとの出逢いを、少しお話してみましょう


1999/10月のある日

仕事から帰ってくると家内がニコニコしながら、今日ご近所のクリーニング屋さんの奥さんに誘われて
シェルティーのブリーダーさんの所に子犬を見に行った話をしてくれました。
とてもかわった色の子犬がいて、その子がとってもかわいかった事
その色が「バイブルー」と言って凄く珍しい事
その子の歯が少しだけ出ているために、ショーには出られないらしい事
そしてそれを承知で飼ってくれる里親さんを捜している事、等々
何かに取り憑かれたように話す家内を、犬のことなどこれっぽっちも頭にないわたしは
「はいはい」と適当にあしらっていたのです。

そして11月6日

この日は、八ヶ岳で友人の主催する恒例の行事「ふいご祭り」、ご近所のアーティストをお招きしてのパーティーです。
飲んで騒いでそして二次会、友人の別宅のピアノを囲んで懐かしの唄を皆さんと楽しみました。
ところが、この席でご近所の友人の新進気鋭の画家ご夫妻が犬を飼いたいとの御発言。
そこで、家内が先日見てきた子犬の話を持ち出しました。
画家ご夫妻は大変乗り気で、後日家内がもう一度ブリーダーさんの所に行って来る事にったのです。
子犬の魅力たるや大したもので、二度目に子犬を抱いてしまった家内は、もうメロメロ
家内曰く、犬は相性があるから自分が可愛いと思っても画家ご夫妻と合うかどうか解らない、もし、もし、ダメだったら

「家で飼っても良いですか?」 ・・である。

これにはさすがに面食らいましたが、しかしこの時から「家で犬を飼う」という事が、なぜか現実の響きを持ち始めたのです。
幸か、不幸か、この子犬と画家ご夫妻とのお見合いはうまく行き、後にお山でノエルの最初のボーイフレンドとなりました。

うまく行ったのは良いけれど、収まらないのは家内です。

家には子供がおりません、やはり寂しい思いをしてきたのも事実です。
幸い家は、集合住宅ですが何年か前に規則を変えて、ペットOKとなっていましたので思い切って犬を飼う事に決めたのです。

ですが、一つ条件を出しました

「黒のラブラドール」です。

私はこれまで犬のことなどまるで考えたことなど有りません、その私が「黒のラブラドール」という条件を出したのです。
それには訳があるのです。
今にして思えば、とんでもない無知そのものなのですが、その頃の私にはそれしかすがる経験がなかったのです。
れはかなり昔、新宿駅のJR切符売り場での出来事だったと思います。
いつもながら私の前には5、6人の人が並んでいました、そして後2人くらいになったときです
私の足が何か暖かい物に強くお押されたような感覚を覚へ、少し後ろに退きました。
するとどうでしょう
そこには真っ黒なラブラドールが居たのです!。
唖然とする私を後目に、「ごめんなさいよっ!」と言うようにそのラブラドールはパートナーを、私の前に誘導するのです。
それも一番前ではなく、一番後ろでもなく、あと二人(その時はもう一人になって居ました)という所に。
(この盲導犬の名誉のために書き添えますが、けして不愉快な行動ではありませんでした
それどころか廻りの人々の暖かい視線に、この盲導犬は少し得意げですらあったのです。)

この経験が私に、犬を飼うなら「黒のラブラドール」という、とんでもない事を言い出させたのです。
ラブラドールがみんなはじめから、盲導犬の様におとなしく賢い訳では無い事などこの時私は考えもしませんでした。

私は昔からペットショップが苦手です。

決して動物が嫌いなわけではありません、ただ怖いのです、・・・自分自身が。
あのつぶらな瞳で見つめられると、もういけません
コマーシャルではないですが直ぐにでもローンを組みたくなってしまいます。

そこで前出のクリーニング屋さんにご相談したところ、近くのお屋敷(某議員さん宅)でちょうど
「黒のラブラドールが生まれたとの話を聞いているので貰ってあげますよ」とのこと。

ウキウキ、ソワソワ、それからというもの、何かに付けてはラブの話です。

そして週末、この頃には山荘の改装工事も一応めどが立ち、少しゆっくりと山の週末を楽しむ余裕も出来た頃です。
日課のように朝、友人とその飼い犬3頭(サンタ・モニカ・まるこ)といつもの散歩に出かけ「こんど家に犬が来たらよろしくね」と早速お願いしていました。
ところが、久々の連休を八ヶ岳で過ごした私たちを待っていたのは、一本の留守電だったのです。

「クリーニング屋さんの○○さんから子犬を貰ってくださるとのお話を聞いて、何度もお電話したんですが・・・」

「ずーっとお留守で・・・他にも子犬が欲しいと言われる方が居られますので、今回はそちらにお譲り致し

す」・・・・・・・

ガ ー ン ! ! で す。

しかしもう頭の中は「黒のラブラドール」で一杯、もうどうにも止まりません。

仕事に出かける前に、家内にネットで黒ラブラドールのブリーダーさんの検索と問い合わせを頼みました。
その日仕事から帰ってくると、家内からのメモがあり、3ヵ所のブリーダーさんの所に黒ラブラドールの子犬が居ます、電話で交渉して下さい。とのこと。
早速電話しましたが、どのブリーダーも親犬の自慢話ばっかりで「何か違うな」との印象ばかりでした。

家内に、「親がアメチャン?らしいけど」と言うと 

「ヘェー?アメチャンねー? それなぁーに?・?・?」

「なんだろうねぇ??・・・」

そんな情けない会話を交わしながらも、もう一度探し直す事になりました。

今までは、直ぐにでも取りに行けるよう近場で探していましたが、今度は少し範囲を広げてみましたところ
山梨県の「ランドスケープ」いう小さな犬舎にたどり着いたのです。

電話したところ「女の子が一頭居ますよ!」とのこと。

早速交渉と思っていましたら、先方のから色々と質問が相次ぎます
今までのブリーダーと違いこちらでは、まず面接から始まるらしいです、飼う環境を確認しないと先に進めません。とのこと。

「家族の一員として室内での生活で無ければお渡しできません」とも言われます。
しばらくお話している内にこのブリーダーさんがいかに犬が好きか、また大切に思っているかが伝わってきて
犬のことをほとんど考えていなかった自分が恥ずかしくなり、是非こちらで子犬をお願いしようと決心したのです。
電話を切る寸前、やっとこちらからお値段のお話を切り出し交渉を終えることが出来ました。

約束は、「2ヶ月間は親元で育てますのでお渡しできません、12月の25日以降にお渡しできます」
この2,3週間の待ち遠しいこと。

犬の飼い方の本を買いあさり、大型犬用の一番大きいケイジを準備し、指折り数えたクリスマス

こんなにクリスマスが待ち遠しかったのは、何年ぶりだっでしたでしょうか?

12月25日

この年は23日から八ヶ岳に滞在しておりましたので、小淵沢インターに入り一路子犬の待つ甲府昭和に車を走らせること約30分
そこから一般道にてランドスケープ犬舎ヘ。
早速子犬と対面です。
子犬の名前は、車の中でクリスマスに家に来るのだから「ノエル」にしょうと決めていたので、「我がノエル」とのご対面です。
広い芝生のお庭でウッドデッキの日だまりに、何頭かの子犬たちが気持ちよさそうに寄り添って眠っていました。
ノエルはその中でも一番ちびっ子の女の子です。
ブリーダーさんから渡されたノエルは、ちっちゃいけどコロコロした元気そうな、やんちゃそうな顔の子犬です。

目の前でのオシッコにビックリしていると、「この頃は何処ででもしちゃいますよ」「食べて、オシッコして、寝る、これが子犬のお仕事です」のブリーダーさんの言葉に、「そんなもんか」と半分納得して帰路に付きました。

丁度この時私は、ギックリ腰のため家内に運転を頼み、ノエルを恐る恐る抱いての帰宅です。

車で少し走った頃からノエルがぐずりだました。

キューンキューンと鳴くその声と姿になぜだか凄く罪悪感がこみ上げてきて、何度か車を止め
どうしよう、返そうか?・・・と相談したのでした。
結局私ではらちがあかず家内と交代し、やっとの思いで山荘に帰還したのです。
家内も、私もくたくたです。


後日談ですが

本当はノエルは家ではなく、軽井沢のお屋敷に行くはずだったそうです
でも、」なぜかブリーダーさんが勘違いされて・・・

我が家の家族となりました

もう返品は利きません!


しかしこの時はまだ、このノエルが

「Black Devil」だったとは、知るよしもありません。

「愛と戦いの日々」の始まりです・・・

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                              HP「木洩れ日の森から」より転記いたしました

# by takibiyarou | 2006-06-10 00:06 | ノエル と セラ | Trackback | Comments(2)
2006年 06月 07日

森 の 間 伐

少しずつですが森の整備にも着手しています。
以前は森のすぐ前に路上駐車していましたが、冬、雪掻きのため走り回る重機に潰されそうなので、森の端っこに駐車スペースを作ることにしました。
しかし森は腐葉土、車輪は滑る、埋まる、で、四苦八苦、仕方なく管理会社に工事を委託、駐車スペースに砂利を敷き、車輪が埋まるのを防ぐ事ができました。

そしてかなり混雑していた森の間伐です。
ひょろひょろの唐松など、ある程度は工夫しながら一人で切りましたが、目通り約450mmの赤松はなんとも手に負えません、この巨大な赤松のために周りの白樺や低木がとても貧弱で可愛そうな状態でした。
しかし木の倒れたときのエリアに隣家があり、また反対側には電気の引込み線が走っています。
これも管理会社にお願いすべく見積もりを頼みましたがなんとこの見積もりが・・・一本10万円・・・大型クレーンで吊りながら伐採するそうです。
あきらめるか・・・
しかし再度、管理会社の課長さんにご相談したところ、別の木こり屋さんを紹介してくれました、4,5人の職人さんが下見に来て、ああだこうだとクレーン以外の方法を検討した末、「伐採のみ、後始末無し」の条件で一本2万円で引き受けてくれました。
当日、やはり4,5人でロープを架けそれを軽トラックに曳かせ、あっという間に、それも計画した場所に寸分狂わず切り倒していきました。お見事と言うしかありません。後始末無しの条件でしたが、枝打ちと玉切りまでやってくれました。ひ弱な似非森人としては実にありがたい事です。針灸治療費を倹約できます。
そしてこの時会得した間伐のノウハウは以後の森仕事に大いに役立ちました。

ぽっかりと開いた森の空から日の光が注ぎ込みます。
薄暗かった森の中で光を求め体をよじりながら頑張っていた白樺を整体治療よろしくワイヤーで引っ張り真っ直ぐに伸ばしてあげました。
そしてまた、この空間に多くの木々を植えることができました。
ノムラモミジ・コシアブラ・ヤマボウシ・ナナカマドそしてシロヤマブキ・イカウツギ・ヒメコブシなどの花木などなど

ノエルの森も、「木洩れ日の素敵な森」に近づきつつあるようです
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# by takibiyarou | 2006-06-07 14:05 | 木洩れ日の森 | Trackback | Comments(0)
2006年 06月 06日

ノ エ ル の 森

わたしたちがこの森で週末を過ごす様になって早や8年目(2006現在)
今ではこの山荘も森の一部となり、完全に森と同化しているようです。
やっと、森が受け容れてくれたのかもしれません。
山荘を改造し、やっと冬が越せる様になったころ
1999・12月25日
私たちの家族にノエルが加わりました。
別に計画していた訳ではないのですが、改装作業が一段落したころでしたのでタイミングとしては絶妙でした。

(ノエルとの出会いについては「ノエルが家にやって来た」で紹介)

改装作業真っ只中の頃はそうでもなかったのですが、森の中で夫婦二人ではやはりちょっと寂しいです。
そんな頃でしたのでノエルと三人?で散歩三昧の楽しい日々を過ごすことができました。
散歩で人と出会っても挨拶程度でなかなか話はできません、でも犬連れの場合は違います、相手も犬連れであればなおさらです、どんどん話が弾みすぐにお友達です。
やはり、森の暮らしにはワンコは欠かせない存在です。
森の仲間の殆どがワンコを家族として森の生活を楽しんでいます。そんなワンコ仲間をたくさん作ってくれたのがノエルです。
そして、ワンコ仲間が森の仲間、そしてネット仲間へと拡大し今ではほんとに多くの友人たちとの交流を楽しんでいます。
森でのひっそりとした暮らしを思い描いていましたが、現実は大違い、かなり賑やかな森の暮らしとなりました、これもノエルのおかげだと感謝しています。

このときから我が森は「ノエルの森」となりました。

そしてそんなノエルも2006年11月の誕生日で7歳となります。
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                                    HP「木洩れ日の森から」より転記いたしました

# by takibiyarou | 2006-06-06 14:04 | 木洩れ日の森 | Trackback | Comments(0)